【Q&A】「気持ちが冷めてしまった」ときは…
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"冷める"のもうひとつの可能性・・・
実は、恋愛で"冷める"には薪をくべるなど行動云々とは別にもうひとつ可能性があります。
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"あなたは自分を出さないよね"と近しい人に言われた。
反射的にこう答えた。
"そんなことはない。もちろん見せてない部分もあるけれど、ここにこうして示している自分も自分の一つ。それを否定されたって困るよ!"
声を荒げて、そう言い返した。
実際その通りだと思った。
それから少し時間がたった。
何人かにいろんなことを問われて、そんなことをあれこれ頭に浮かべながら過ごした。
自分は自分のことを話しているのだろうか・・・
いや、話していないな。。。
というか、よくよく考えてみると話したくなんてない。
自分のことをもっと知って欲しくなんてない!
知られてもいい部分はもう見せてる!
それが精一杯見せれる部分なの!
人に見て欲しくないもの。。。
それは自分の『無価値感』だ。
自分に自信がなかった。。。
自分が好きじゃなかった。。。
自分なんていなければいいのに、なんて思ったこともあった。
そんな風なことを感じながら生きているのが辛かった。
だから必死で頑張ってきたんだ。
いっぱい勉強して、いろんなことに挑戦した。
人がやらないようなことにも手を出して、それができる自分が好きになれる感じがした。
いつしか自分に自信が持てるようになり、自分のことが好きになったようにも思えた。
でも、、、どれだけできることが増えたって、どれだけ人からの賞賛を得ることがあったって、、、
なくなったわけじゃない。
いつも根っこには
"自分には価値がないのかもしれない"
という感覚がある。
いろんなことに意識を向けて、目を逸らして、ただ感じなくしていただけ。。。
"そんなこと、知ろうとなんてしないで!"
"やめてよ!それ以上近かないで!"
"お願い。。。見ないで。。。苦しいよ。。。"
"誰にも知られたくなんてないし、自分自身向き合いたくないんだ。。。"
それは"恐怖"だった。
自分自身の重要感のなさ、"無価値感"と向き合わさせられる。
"自分なんていなければいいのに"と感じたあの頃に引き戻される。
ナイフを挟んで抱きしめ合うカップルみたいなものだ。距離が一歩近づくごとに、ナイフがズブリと胸に突き刺さる。
"この苦しみから逃れるためだったら、、、恋とか愛とかそんなものはいらない。。。"
こころが、無意識が、自分を守ろうとしてそう考えるのはごくごく自然なことだ。
何人も死の恐怖に立ち向かうことなどできない。
冷めたのではない、逃げ出したのだ。恐怖から逃れようとしたこころが愛を突き飛ばしたのだ。
ひとりがいいわけじゃない。
近づきたい思いはある。
だけど、いざ近づいてみると苦しいのだ。。。
自分にはちゃんと人を大切にすることができないのか。
自分には誰も愛することはできないのか。。。
こんな自分はこの先ひとりで生きていかなければならないのか。。。
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これは僕自身が体験したことのなかで、自分のなかで起こっていることを文字に起こしたものです。
"冷める"の根本にあるもの・・・
いつも人と付き合うものの気持ちが冷めてしまう...
この問題の根本は何でしょう?
人の行動の背景には必ず苦痛か快楽かが潜んでいます。そして、"冷める"ことの裏側にあるのは多くの場合"痛み"です。
恋人が近づきすぎたことではありません。
それが刺激する要因にはなっているけれど、根本ではないのです。
本当の問題はなにか
それは
"自己の重要感が欠落している"
ということです。
幼い頃に両親から十分な愛情を得られなかった。
虐待されたわけでなくとも、言葉で言われたわけではなくとも、忙しそうにして、自分に構ってられない親の姿を見たりする中で幼い子どもが無意識のうちに
"自分には価値がないのかもしれない"
"自分はいてもいなくてもどうでもいいのかもしれない"
そんな風に感じてしまうのも無理はないでしょう。